高瀬川一之船入 is a monument Kyoto located in Japan.
中京区一之船入町 (木屋町通二条下る西側) Kyoto , Kyōto 604-0924 Japan
江戸時代に京都と大阪を結ぶ輸送路だった高瀬川で、唯一残る接岸用入り江「高瀬川一之船入」にある高瀬舟 が新造され、9月23日にお披露目 の式典が開かれる。舟は地元商店主らでつくる銅駝高瀬川保勝会が1975年から設置。先代の舟が老朽化したため、江戸時代の舟大工 の記録や明治時代の写真 を参考に、来年の開削400年を前に造り替えた。建造費約700万円は有志の募金などで賄った。
(※碑は『舩』)高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554~1614)素庵(1571~1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の船入は二条~四条間に9カ所作られ,荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所であった。この石標は高瀬川一之船入の跡を示すものである。昭和9年に史蹟名勝天然紀念物保存法により史蹟に指定され,現在は「高瀬川一之船入」として国指定史跡 。 Read more
9月5~7日に高瀬川ライトアップ2014のイベント として一之船入でプロジェクションマッピングが開催されます。19~21時。上映時間は4分、インターバルは1分ほど。見る価値ありますよ。その時間帯は木屋町 通の御池~二条間が歩行者天国 になります。
一之船入のシンボルとして親しまれてきた高瀬舟 はなんと腐食により廃棄。新しい舟が浮かべられるのはいつになることやら、、、。桜と一緒に眺められる日を心待ちにしております。
望月亀弥太の切腹の地が近くにありましたが、京都市教育 委員会の方針により定かでない史跡 に関しては排除していくようです。
3代目高瀬舟 がお披露目 されました。一之船入のシンボル復活です!
新しい船が係留されてますね。桜の頃は美しいだろうな♪(*^^*)
角倉了以(1554~1614)は,国内諸河川の開発整備に従事し,慶長11(1606)年に大堰川・淀川・富士川を疎通させた。慶長16(1611)年この地二条より鴨川の水を引き伏見に達する高瀬川を開削し,京都伏見間の水運を開通させた。明治維新後,角倉家は高瀬川支配を罷免され,府に移管された。この辺り一帯は角倉家の邸地であった。この石標はその跡を示すものである。 - eg eg
前掛のタペストリーは滋賀県大津祭の2つの山のものと元は1枚の作品だったもので、鯉山等と同じトロイ戦争の1場面を表した16世紀ベルギー製です。他にもフランスで18世紀に製作されたゴブラン織の見送「水辺の会話」や、山鹿清華作の見送「北京万寿山図」手織綿など、各国自慢の織物の競演が楽しめます。 - eg eg
「応仁の乱」は、1467年から約10年間に発生した、日本国内の内戦の事を指す。これが後の「戦国時代」へと繋がってしまった。 - なる さかた
二回目です。前回はディナーでしたが、今回はランチセット。1500円なのでリーズナブル。子供は小学生以上で、予約が出来ないのがポイント。 - Hiroshi Matsumura
佐久間象山(1811~64)は,信濃国松代藩出身で兵学蘭学を学び,江戸で勝海舟・吉田松陰等に砲学を教えた。開国論を唱え,嘉永7(1854)年吉田松陰の米艦乗込事件に連座し,その後8年間松代で蟄居した。元治元(1864)年3月幕命で上京し,開国論を披瀝した。同年7月11日騎馬で山階宮家よりの帰途,この地で暗殺された。この石標は佐久間象山が襲撃された地を示すものである。 - eg eg